イタリアの歴史011(カラカラ浴場)

こんにちは。

前回は「カラカラ帝」についてでした。

今回はそのからから帝の功績の1つで、
比較的日本人にも馴染みがある「カラカラ浴場」についてです。


カラカラ帝の功績でもう一つ大きなものが、
212年から216年にかけて
「カラカラ浴場」を建築したことです。

この遺跡は現在も観光地として有名ですが、
古代ローマの公衆浴場です。

225m×185m、高さが約38.5mほどですから、
かなりの大浴場ですよね。

ただ、いわゆる日本の昔ながらの銭湯とは少し違い、
公立図書館の建物群の中の、付属建造物だったようです。

中には「冷室」「温室」「熱室」「ジム」などがあり、
娯楽性の高いレジャー施設のようです。

現代日本だとスーパー銭湯のような感じでしょうかねぇ。

古代ローマの人たちも裸の付き合いをしていたんですね。


参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「カラカラ浴場」の項



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2008/04/29 イタリアの歴史 トラックバック:0 コメント:1

イタリアの保育園

こんにちは、まるです。
13歳のときにイタリアを訪れ、その美しさとスローな暮らしに感銘をうけました。
今は、田舎暮らしをしながらスローライフを模索中。
将来はイタリア家庭料理を学びに、子連れイタリア留学を目指しています。


4月から、うちの息子も保育園に入りました。

私が育児で大切に思っていることは「自然の中で子供を育てたい」ということ。

子供の通っている保育園は、自然がいっぱいの山の中、田んぼが広がる地域にあります。

だから、自然の中で子育てしたい、という点ではすごく恵まれています。


晴れた日には、田んぼのあぜみちを保育園の子供たちが散歩していて気持ち良さそうです。

そんな姿をみると、「ああ、こんなところで子育てができてよかったなあ!」と思います。



そうそう!


イタリアの保育園や幼稚園は、すごいんですよ。


多くの園が、大きな公園の中にあるんです。



かなり大きな公園の中、3,4カ所に子供用の遊び場があるのですが、
その中に2種類の保育園と幼稚園から中学校までがあるところも。


なので、保育園や幼稚園の庭もとても広い!

天気のいい日はお庭の大きな木の下で、おやつや昼食を。
お外で絵本を読んだり、なんてことも。

すごく豊かですね〜。


日本ではすごくお庭のせまい保育園もありますよね。
時には庭のない保育園もあるようですが、イタリアみたいに公共の公園の中に保育園を作ったらどうでしょうか。

そしたら、公園も有効活用できるし子供にとっても豊かな場所で、一石二鳥。

これ、いいと思いませんか?


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2008/04/23 イタリアに学ぶスローライフ トラックバック:0 コメント:1

イタリアの歴史010(カラカラ帝)

こんにちは。

前回は五賢帝時代の最後を書きました。

今回はそこから少し時代が経って、
3世紀に現れた「カラカラ帝」についてです。


前皇帝セウェルスが211年に亡くなると、
彼の妻ユリア・ドムナの息子である、
カラカラとゲタの兄弟が共同統治の皇帝となります。

しかし、この兄弟は仲が悪く、
やがてカラカラ帝によりゲタは母親の目前で殺害されます。


他にも、カラカラ帝は市民を虐殺したり、
軍事的な独裁の強化も行なったため、
市民からの評価は低かったようです。

その一方で、兵士と共に徒歩で行軍したり、
土木作業にも加わったり、兵士の給与を上げるなどしたため、
兵士からは人気があったようです。


また、彼の功績としては、212年に発布された
「アントニヌス勅令」があります。

これは税収入の増加を狙い、
全属州民に「ローマ市民権」を付与するというものでした。

しかし、それまでは属州民たちはローマ市民権を得るためには
ローマ軍団に入って軍役を果たさなければならなかったのが、
このアントニヌス勅令により、既得権となってしまったため、
ローマ軍の質が低下し、ひいては国防力も下がったと言われます。



因に、「カラカラ帝」というのは、
彼の愛用した外套に由来する通称で、
本名はマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス、
と言います。

ただ、これだと他の皇帝と混同しやすいので、
「カラカラ帝」と呼ぶのが普通のようです。


参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「カラカラ」「プブリウス・セプティミウス・ゲタ」の項


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2008/04/20 イタリアの歴史 トラックバック:1 コメント:0

イタリアの食育

こんにちは、まるです。

13歳のときにイタリアを訪れ、その美しさとスローな暮らしに感銘をうけました。
今は、田舎暮らしをしながらスローライフを模索中。
将来はイタリア家庭料理を学びに、子連れイタリア留学を目指しています。



四月からうちの息子も保育園に入りました。

初めての生活にどきどき。。。



さて、息子の保育園では、給食が出ます。

食べること大好きな息子にとっては、まだ慣れない保育園で
食事を一番楽しみにしているようです。



ところで、イタリアの保育園でも給食はあります。

どんな給食かというと、やっぱりイタリア式。



わかりやすくいえば、レストランでのテーブルと同じであるといえます。


保育園では食事を提供するカートが子供達のそばにいて、食べたら次のお皿が用意されます。




まず机の上にお皿があり、パンが並べられます。
お皿には最初に、例えば生ハムや野菜を使った前菜などが盛られます。

これを食べ終わると、パスタが出され、最後にメインディッシュ。

そしてサラダ、デザート。


これらが順番に提供されるので、
いわゆるイタリア式テーブルマナーは、幼少のうちから教わるということに。

よって、食事の所要時間1時間位なんですって!


(これくらい食事に時間をかけてあげられる余裕って、大切ですね〜。)



他にもイタリアでは、小学生のときから毎年何度かは
学校で最高級のレストランに子供を連れて行って食べさせる授業があるそうです。


本物の場所に連れて行き、本当においしい食べものをすてきな雰囲気の中で味わう。


そんな体験の中で子供たちは自然とマナーや食に対する好奇心、楽しみを育んで
いけるんだと思います。

イタリア、こういうところがかっこいいですね。


日本も食育を教えるなら、栄養がどうとかダサい体験ばかりでなく、
こういうすてきな体験を子供たちにさせるといいなと思います。




それでは、今回はイタリアの食育についてでした。

将来はイタリア家庭料理を学びに、子連れイタリア留学を目指している、まるでした。



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2008/04/15 イタリアに学ぶスローライフ トラックバック:0 コメント:0

イタリアの歴史009(五賢帝時代の最後)

こんにちは。

前回まで「五賢帝時代」の前・中期を書きました。

今回はその最後です。


五賢帝時代最後の皇帝となったのが、
マルクス・アウレリウス・アントニヌスです。

彼には同じく先帝アントニヌスの養子となった共同皇帝の
ルキウス・ウェルスがいました。

130年に生まれ、詩作と弁論を好んだルキウスは、
154年に32歳の最低年齢を大幅に下回り執政官となります。

161年にマルクス・アウレリウスとともに執政官を務めますが、
この年に先帝アントニヌス・ピウスが亡くなり、
マルクス・アウレリウスが皇帝の座を継ぎ、
ルキウスが共同皇帝となります。

2人は同等の権利を有していましたが、
実際の政務は、121年生まれで年長の
マルクス・アウレリウスが指導的な立場を握っていました。

また、ルキウスは翌年から166年までパルティア戦に従事し、
2年ほどローマで享楽的な生活を続けた後、
169年、ゲルマン人の支族の来襲の迎撃のため出陣します。

同じ年、マルクス・アウレリウスと戦場からローマへ帰還する道中で、
食中毒の症状を呈して床につき、数日後に亡くなります。

この後、マルクス・アウレリウスが
五賢帝時代最後の皇帝を単独で務めます。


共同皇帝だったルキウス・ウェルスが亡くなった後、
マルクス・アウレリウスが単独皇帝となります。

先帝アントニヌス・ピウスが対外政策に力を入れなかったため、
蛮族の侵入や、パルティアの攻撃など、
数々の難問に直面しますが、その問題に果敢に対処しました。

それまでの五賢帝時代は、優れた者を後継者として養子にし、
帝位を継承させるという慣習が存在しましたが、
彼は実子のコンモドゥスを後継者とし、
ここに五賢帝時代は終わりを告げます。

もっとも、それまでの皇帝には法律上の結婚に
基づく実子がいなかったため、
そのような慣習が無かったという説もあるようです。

そして、皇帝たちは後継者を選ぶ際には、
元老院の承認を必要とされ、
アウレリウス帝も実子を選ぶ際には承認を得ています。

一方、アウレリウス帝は「哲人皇帝」と呼ばれ、
日々の思索と哲学を記した『自省禄』を著しています。

また、帝国の安定のため、
当時衰えていた伝統の神々の祭祀を復興して、
帝国の精神的紐帯とすることを図ります。

そのため、多神教の礼拝を拒んだキリスト教徒を、
帝国の安定を危うくする存在として迫害しました。


因に、中国の後漢の史書『後漢書』西域列伝の大秦国の記事に、
「大秦王安敦」の使者がきたとの記述がありますが、
これがマルクス・アウレリウス・アントニヌスとされています。

 ※当時の中国ではローマ帝国のことを
  「大秦国」と表記していました。


すでに2世紀頃には東西の大国同士で
使者の往来があったんですね!


参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「五賢帝」「アントニヌス・ピウス」「ルキウス・ウェルス」
「マルクス・アウレリウス」の項


最後に実子を後継者としなければ、
本当に素晴らしい皇帝だったと思うのですが・・・

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2008/04/11 イタリアの歴史 トラックバック:0 コメント:0

春は山菜イタリアン

こんにちは、まるです。
13歳のときにイタリアを訪れ、その美しさとスローな暮らしに感銘をうけました。
今は、田舎暮らしをしながらスローライフを模索中。
将来はイタリア家庭料理を学びに、子連れイタリア留学を目指しています。




私の住む山には桜が咲いて、もうすぐ山菜の季節です。


ぜんまい、いたどり、たけのこ、わらび。。。





山の人たちはそれらが全盛になる季節、毎日のように山菜を食べます。


私は山へくるまで山菜なんて家庭で食べたことがほぼなかった。(たけのこ以外は)




で、今では毎日のように山菜の日々(笑)



従来どおりの煮物や炊き合わせばかりでなく、もっとおいしい食べ方ってないのかなあ。
と思うようになりました。




そこで、活躍しているのがイタリアン風。


よくするのはピザ生地にゼンマイやワラビをトッピングすること。



ちょっとスパイシーなたれを作っておいて、焼きたてにじゅーっとかけて食べると
おいしいんですよね。




それから、大好きなのがタケノコのバルサミコ酢ソテー。

バルサミコ酢につけておいたタケノコに粉をはたいて、
オリーブオイルで焼くだけ。



これが簡単で、めっちゃめちゃおいしいんです。

さめてもおいしいので、お花見のお弁当にもおすすめです。






では、今日もおいしいピザを焼いてお外で食べようっと。

毎日が花見のような日々です。




それではまた。将来はイタリア家庭料理を学びに、子連れイタリア留学を目指していますまるでした。




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2008/04/08 イタリアに学ぶスローライフ トラックバック:0 コメント:0

イタリアの歴史008(五賢帝時代)

こんにちは。

前回は「五賢帝時代」の前半でした。

今回は、その中盤の時代についてです。

先代のトラヤヌス帝は、たくましい若者たちを随行させていたことが
伝わっているように、男色を好んだため、皇帝位は養子に迎えた
従弟で同郷のハドリアヌスが継ぎます。

ハドリアヌスが継承した時には帝国は最大領域となっていて、
そのために領土の防衛や、各地の反乱への対処など、
先帝の積極策から一転、帝国の消極的な維持に努めたようです。

有名な「ハドリアヌスの長城」もこれを象徴していますね。

官僚機構の整備などの行政改革や、帝国内の視察、
軍紀の改正による軍内部の改革なども行います。

ハドリアヌス自身が用兵術に優れていたこともあり、
ローマ軍は連戦連勝を重ね、軍隊内では一兵卒と変わらぬ生活をし、
戦争では先頭に立って指揮をとったため、
士気の低下にはつながらなかったようです。

また、文化面では、118年にパンテオン神殿の再建に着手しています。

彼も、病床でアントニヌスを養子にし、後継者としています。

その先帝ハドリアヌスの養子となり後継者となったのが、
アントニヌス・ピウスです。

 ピウスは元老院から贈られた「敬虔な」という意味の尊称。


ハドリアヌスの信任が厚く、要職を歴任した後、
早世した後継者の後に、妻の甥の遺児2人を養子とすることでした。

 この2人は後に皇帝となります。

138年7月11日にハドリアヌスの後を継いで即位します。

このハドリアヌスは長くローマを不在にしたため、
元老院から不満の声が上がり、記録抹消刑に処されるところを、
アントニヌスが必死に止めたというのが、彼の最初の実績です。

 ピウスの尊称が贈られたのもその高潔な態度からと言われます。

彼は、先帝への不満を反面教師とし、
ローマを不在にすることは無かったのですが、
それが周辺蛮族の発展を許し、後世への禍根を残したと言えます。


参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「五賢帝」「ハドリアヌス」「アントニヌス・ピウス」の項

イタリアに留学するなら、
イタリアの歴史について学んでから行った方が、
何倍も楽しめますよ!

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2008/04/02 イタリアの歴史 トラックバック:0 コメント:2


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