イタリアの歴史010(カラカラ帝)
こんにちは。
前回は五賢帝時代の最後を書きました。
今回はそこから少し時代が経って、
3世紀に現れた「カラカラ帝」についてです。
前皇帝セウェルスが211年に亡くなると、
彼の妻ユリア・ドムナの息子である、
カラカラとゲタの兄弟が共同統治の皇帝となります。
しかし、この兄弟は仲が悪く、
やがてカラカラ帝によりゲタは母親の目前で殺害されます。
他にも、カラカラ帝は市民を虐殺したり、
軍事的な独裁の強化も行なったため、
市民からの評価は低かったようです。
その一方で、兵士と共に徒歩で行軍したり、
土木作業にも加わったり、兵士の給与を上げるなどしたため、
兵士からは人気があったようです。
また、彼の功績としては、212年に発布された
「アントニヌス勅令」があります。
これは税収入の増加を狙い、
全属州民に「ローマ市民権」を付与するというものでした。
しかし、それまでは属州民たちはローマ市民権を得るためには
ローマ軍団に入って軍役を果たさなければならなかったのが、
このアントニヌス勅令により、既得権となってしまったため、
ローマ軍の質が低下し、ひいては国防力も下がったと言われます。
因に、「カラカラ帝」というのは、
彼の愛用した外套に由来する通称で、
本名はマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス、
と言います。
ただ、これだと他の皇帝と混同しやすいので、
「カラカラ帝」と呼ぶのが普通のようです。
参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「カラカラ」「プブリウス・セプティミウス・ゲタ」の項
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